『三國志游學記』誕生秘話6~出版作業
こうして蜀士は出版作業のため、暫く日本に腰を据えることを決意。
秋田にいながら通訳者として委任されましたが、
秋田の片田舎で中国語が必要となるのは稀なこと。
仕事は殆どありませんでした。
とはいえ、通訳者として委任されているので
他の職に就くこともできず、
単発のアルバイトをしながら出版費用を賄う日々の始まりです。
出版作業はまず校正から取り掛かりました。
出版社から送られてきた
コンクールに応募した作品を活字に打ち込んだ原稿。
それを蜀士と共に見たところ、
与えられた文字をパソコンで入力しただけの
単純作業の結果だと一目で分かりました。
誤字脱字が目立ち、改行なんて酷いもの。
また、作品の性格上、
常用外漢字が多く(例えば「三国志」の登場人物名)、
当然それらも反映されていない。
蜀士は赤ペンを取り出し、
それら一つ一つを丹念にチェックしていきました。
そして打ち合わせと挨拶を兼ねて
その原稿を持って再び上京。
編集担当者は蜀士と同い年でウマが合ったらしく、
表紙のデザインや今後のスケジュール等を楽しく話せたそうです。
その後、蜀士が手渡しした原稿は
「初校」として訂正されて送られてきました。
が、そこにも入力ミスは数え切れず・・・。
蜀士はまた赤ペンを取り出してもくもくとチェック。
更に文章表現や構成等も推敲・加筆して出版社へ返送。
次に二稿、そして三稿と繰り返しているうちに2005年。
傍らから見ていて一冊の本を出版させる大変さを実感しました。
しかし、その大変さはまだまだ始まったばかり。
後にこのブログでも紹介する予定の
蜀士の本の体裁に対するこだわりを反映させるために、
多くの労力と時間が費やされました。
また、いよいよ出版作業も終盤という頃には
編集担当者が出版社を退職。
更に数ヵ月後、今回の出版全体を総括するプロデューサーも退職。
編集者とプロデューサーの交代が余儀なくされ・・・
「本当に出版できるのか」という周囲のムードを
本人が気付かなかった筈はないでしょう。
それでも、新しい編集担当者の尽力の下、四稿・五稿と進み、
「これ以上加筆・訂正する所はない」ことを宣言する
「校了確認書」に判を押すまでに至りました。
この時既に2005年夏。
“2005年の春には出版”という予定より大幅に遅れております。
ただ、急いで半端なものを出すより、
遅れても満足のいくものに仕上げるべき
というのは蜀士自身の強い意志であり、
周りもそれに納得して待つことにしました。
| 固定リンク









コメント