2006年2月22日 (水)

蜀士玄子について6~夢の終わり、出版、そして次の夢へ・・・

でも、そうした六年間の楽しい生活にも当然、終わりはあるもので、そのまま中国に就職しようとも考えたものの、当時日本でも騒がれたSARS(サーズ)という流行病の真っ只中では「取り敢えず日本に帰る」という選択肢しか残されていなかったようで・・・秋田の実家に帰ってきました。
2003年夏のことです。
 
それから2年間、秋田で家族と共に暮らしましたが、『三國志游學記』はその期間に執筆されました。
通訳や翻訳の仕事をしながら、それでも秋田では中国語を存分に活かせる機会は殆どなく・・・幾つものアルバイトを入れ、物理的に厳しい中での執筆・創作活動だったので、完成した本を手に取った時の蜀士本人の感激は如何ばかりであったか、想像に堪えません。

ただ、本人にとって日本(及び秋田)は時々帰って休んだり遊んだりするには最高の所であるものの、生活して働くにはあまりにも窮屈で苦しい所らしく…成都游学時代のクラスメイトが勤める上海近郊の私立大学に声をかけてもらったことが切っ掛けで、昨年(2005年)9月に再び日本を離れ、中国大陸へ
現在はその大学の日本語学科で中国人の学生に日本語を教えております。
その日々の様子はこのブログにもリンクしてある
蜀士の道樂日記http://hitorigoto.shokusamurai.com/
で見られますので、興味のある方は是非、ご覧下さい。
三國志游學記』もそうですが、普段のニュースやマスコミでは分からない中国の実情や日中の差異というものが垣間見ることができると思います。
そうした中でも蜀士は「三国志」を通して新たな楽しい日中関係を構築できないかと模索しているとのことです。

以上、蜀士の半生を紹介してみました。
どんな人にも生きた分だけドラマがあり、感動があると思いますが、
この蜀士のドラマはどうですか? 

そんな蜀士の初出版作『三國志游學記』、
そんな蜀士渾身の力作『三國志游學記』、
「三国志」と中国への熱い想いと自らの成長を綴った『三國志游學記』、
読んでみたいと思いませんか?(笑) そう思って頂けたなら幸いです。

三國志游學記 三國志游學記

著者:蜀士 玄子
販売元:新風舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

次回は『三國志游學記』完成・出版までの経緯についてお話します。

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蜀士玄子について5~蜀士の宝物

四川大学」はその名の通り、パンダや麻婆豆腐等の激辛料理で有名な四川省の省都、成都市にある国立大学で、その成都市は小説『三国志演義』の主人公劉備玄徳が築いた「蜀の国」(“三国” の一つ)の都でもありました。
成都の街の魅力については『三國志游學記』後半部に蜀士が実感を籠めて描いておりますし、ここでも後日紹介する予定です。

 そんな成都の街で蜀士は最初の二年間、外国人向けの「語学研修」的学部に所属しながら中国語を身につけ、三年目からは本科生として四年間「漢語言文学科」で学びました。

その六年間の留学を蜀士は“游学” と呼んでいますが、大変有意義なものだったと聞いております。
考えてみれば19歳から25歳という期間は誰しもその人生を決定づけるような大切な年代です。その大切な年代に無理を押して望み通りの街へ行き、“幼い朧気な夢”を実現できた蜀士は稀有なくらい幸せで恵まれた環境にあったのかもしれません。
沢山の出会いと数え切れない体験をしたその游学時代は、言わば、“蜀士の宝物”といっても過言ではないでしょう。

当時、中国の山奥にある四川省に留学してくるような日本人はかなり個性的で自分の意志を強く持った人ばかりだったようで、一方、欧米諸国を始め、世界中からの留学生も集まっていたようです。
そんなクラスメイトと友となり、現地の人々や風習、文化、そして激辛料理 等々と触れ合い・・・日本にいては決して体験のすることのできない青春時代を過ごせたのではないでしょうか。

また、時々休みを利用して中国各地の「三国志」遺跡を旅して歩き、毎回 “想定の範囲外” の出来事に遭ったり、現代中国人―――蜀士はこの人達を親しみと少しの軽蔑を込めて “人民”と呼んでいる;『三國志游學記』に限らず蜀士の中国観を読み、知るには重要なキーワードとなる―――との触れ合いを通して厭という程の幻滅や苦労を味わいながらも感動と感謝することもあったり、と日本から殆ど出たこともない我々には想像を絶するような物凄い体験を重ねてきたみたいです。

尤も、どんな時でも常に『三国志』への熱い想いがあったからこそ為し得たことだと本人は話していますが・・・。

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人民」について、「親しみと少しの軽蔑」と述べましたが、
蜀士本人から異議申し立て(!?)のメールが入り軽蔑感”はないそうです。
軽蔑ではなく“可愛さ余って憎さ10000倍”といった感じらしい・・・(笑)
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蜀士玄子について4~夢が熟する頃

それでも、高校3年の夏の終わりだったと思いますが・・・東京都内にある中国留学斡旋機関を知り、日本の大学には行かずに、直接中国の大学に入学することを決意。

高校卒業後の半年間、その機関が主催するカリキュラムを受けながら、“朧気な夢”が熟し切る準備をしている最中、一つの問題が気にかかり始めました。
留学斡旋機関からは、世間一般的な北京や上海の大学を勧められたらしいのです。
当初、18歳の蜀士は「中国に行きたい」という想いばかりが強く、中国の何処に行くのかまではこだわれませんでした。
否、やっとのことで中国へ留学できる伝手を探し出した状態では「中国へ行ける」それ以上の望みを選ぶ余地はなかったと言った方が適切なのかもしれません。
しかし、“夢の実現”が近付くにつれ、ある種の不安と安堵が混在し始め、“それ以上の望み”を意識するようになったのではないでしょうか。

現在でもそうかもしれませんが、当時中国への留学を目指す日本人の大半は、中国の爆発的な経済発展を見通して、将来の就職やビジネスに役立てることを目的としていたらしく・・・蜀士のように「三国志」に憧れて、という人は珍しい存在だったに違いありません。
経済発展に魅せられて中国に行く人は当然、北京や上海などを希望することでしょう。斡旋機関もそのつもりでこの両大都市の大学と提携を結び、斡旋していたものと思われます。

ところが、その発展著しい両大都市とも『三国志』とは殆ど無縁の地。蜀士にとっては魅力の欠片すら見出せなかったようです。
斡旋機関の方針にはどうしても納得できず、悩み、結局無理を押して成都市の「四川大学」入学を敢行しました。
斡旋機関は四川大学との提携はなかったようなので、入学許可が下りるまでの段取りしかしてくれなかったみたいです。
半年間のカリキュラムで何とか片言の中国語を話せるようになったばかりの状態で蜀士は単身成都に向かい、入学のための手続きや寮の確保など、全て一人で行わなければなりませんでした。

何れにしても念願叶って、「三国志」の中心地のひとつ、“夢の街”成都への留学が実現。97年秋のことです。

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蜀士玄子について3~朧気な夢

やがて、心の中で「三国志の英雄達が活躍した中国の地で生きてみたい」という朧気な夢が芽生え始め、当時、“中国への修学旅行”を実施していた秋田市内の高校に入学しました。
とにかく、「三国志」の舞台である中国大陸を自分の足で踏み締めてみたいという気持ちが相当強かったのでしょう。

そうして念願叶い、修学旅行。あっという間の一週間だったようですが、夢の大地を踏み締めて大きな感動と衝撃を受けた様子は帰国後の本人の表情からも窺えました。
その時のことは『三國志游學記』冒頭部分にダイナミックに描かれております。
朧気な夢”は“正気の夢”となり、更には“”が“目標”と変わる・・・そのために幾つもの季節の移ろいは必要ありませんでした。
ただ、目標を将来の現実とするための手段が難しい。インターネットもない―――少なくとも蜀士の周辺には―――時代で、秋田の片田舎では情報そのものがないし、探せない。
有意義な高校生活を送る反面、目標がはっきりしているだけにそのために何もできない状況がもどかしく、かなり戸惑い、苦しんだようです。

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2006年2月21日 (火)

蜀士玄子について2~「三国志」との出会い

蜀士は1978年(昭和53年)に秋田県秋田市で生まれました。
小学・中学時代は親の仕事の関係により、所謂、転勤族。3つの小学校と2つの中学校に通いました。
今になって蜀士曰く、「同じ街に何年も続けて住むなんて気持ち悪い」と・・・。
生まれた街や国にこだわらずに見知らぬ外国で暮らしてみようという気持ちはそんな幼い頃の体験で培われたのかもしれません。

そんな蜀士が「三国志」に出逢ったのは中学に入学して間もない頃でした。
初めは「NHK人形劇三国志」の再放送を見たり、
「三国志」を題材にしたTVゲームを楽しんだり
するという、誰でも経験するようなありふれた切っ掛けだったようです。
ただ、例えば・・・人形劇の次回放送まで待てずに「三国志」の小説や漫画を買ったり、
ゲームをより深く楽しむために関連する雑誌や本を買ったりして読み漁っているうちに、すっかりハマってのめり込んでしまいました。

そして、いつしか 三国志」やその登場人物たちの生き様は 自らの“人生哲学” そのものになっていったようです。

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蜀士玄子について1~蜀士とは・・・

初めに、『三國志游學記』著者 蜀士玄子(しょくざむらい しゅえんず)の紹介をしますね。

公式プロフィールとしては

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三国志道樂人。
1978年、日中平和友好条約調印の年、秋田市に生まれる。
13歳で三國志と出会い、高校卒業後、1997年から2003年まで中国成都市の四川大学に游学。
現在、日本、中国をはじめとした世界各地の三國志愛好者と国境を越えた「三國志道」を探求中。

                                             (『三國志游學記』巻末に掲載)

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と記されています。

一部サイトやチラシには “1979年生まれ” とありますが、正確には “1978年生まれ” です。
いやいや、「折角一つ若く書いてくれたんだから、わざわざ訂正しなくてもよい!!」
なんていう本人の声が聞こえてきそうですが・・・(笑) 

ここではもう少し詳しく紹介します。 

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