2006年3月29日 (水)

見せる文章~蜀士のこだわり2

 文章には“視覚的な効果”もある。蜀士は前々からそう感じていた。視覚的効果、つまり“レイアウト”である。前回取り挙げた「挿絵の位置」もその一端といえるだろう。


 そもそも文章とは、言葉(単語)の組み合わせであり、言葉は文字の連なりといえる。そして文章の最大の目的は“情報伝達”である。書き手は読み手に対して何らかの情報を伝えるために文字を連ね、言葉を組み合わせ文章を書く。読み手は何らかの情報を得るために文字を追い、言葉を捉えて文章を読む。それは文芸作品であろうと論文であろうと報告書であろうと、はたまた個人的な手紙やメールであろうと基本的に変わらない原則である。
 従って、文字と言葉さえ知っていれば誰でも文章を書き、読むことはできる。書き手は文字を書いて言葉を羅列し、読み手は文字を読んで言葉の意味を認識する。実に“単純な作業”である。この“単純な作業”によって書き手は情報を伝えることができるし、読み手は情報を得ることができる。そこに視覚的効果だとかレイアウトだとか小難しい概念は必要ない。
 例えば、一昔前のカタカナだけで記された電報などは文章という“単純な作業”の最たるものではないだろうか。どんな形態であれ、最低限用件が伝わればよいのである。どんな味であろうと、最低限空腹が満たされればよいのである。言い換えれば、空腹が満たされるのであれば美味い不味いも甘い辛いも関係ない。それが“単純な作業”なのだ。
 しかし、豊かな生活に於いて人々は美味い不味いを意識しないだろうか。空腹が満たされさえすばよいだけの食事は豊かだといえるだろうか。当然、人々は不味いものより美味いものを好んで食するだろうし、空腹を満たす以外の意味も食事に求めるだろう。
 勿論、過剰なグルメ嗜好には否定的な考え方もあるが、食を通して育まれた各地の文化や風習、また、各地の文化や風習によって育まれた食のあり方を否定することはできない。食を通して礼儀作法や感謝する心(=信仰心)が培われ、文化や風習によって様々な調理法や味付けが考えられ、心身の糧となる食文化が生まれたからだ。
 時代が豊かになるにつれ、食べるという“単純な作業”は多種多様な発展を遂げ、“複雑な意義”が齎されたのである。未だ飢えに苦しむ国々が多い世界の中にあって不謹慎な言い方ではあるが、美味い不味いも甘い辛いも意識して満喫できてこそ初めて豊かな食事といえるのではないだろうか。
 豊かな食事では最低限空腹が満たされるだけではよくないのである。豊かな文章は最低限用件が伝わるだけではよくないのである。一昔前のカタカナだけで記された電報は決して豊かな文章とはいえない。
 視覚的効果だとかレイアウトだとか小難しい概念は、“単純な作業”の文章に彩を添え、“複雑な意義”を齎せる。多種多様な豊かな文章に発展する一要素となり得るのである。


 それでは、文章の視覚的効果・レイアウトとは具体的にどんなものなのだろうか。視覚的ということは“見た目”である。レイアウトとは“配置”。つまり、文章の配置を工夫することで見た目がよくなるということ。
 まず、句読点が挙げられるだろう。カタカナだけの電報の文章でも、句読点があるだけで大分読みやすくなる。そして改行や段落分け。行を改めたり、一行ないし二行空けて段落を区切って文章全体の纏まりや展開を分かりやすく表示する。括弧類(「」・『』・“”等)を用いて会話文や強調語をはっきりさせる。
 何れも小学校の作文の時間に習うような基本的なことだが、それらを駆使した文章と無視した文章とでは見た目が全く違ってくることは容易に想像できるだろう。そして、“見た目が違う”ということが「読みやすい」「読みにくい」に関わり、延いては「分かりやすい文章」と「分かりにくい文章」を左右してしまう。“情報伝達”という文章の最大の目的にすら影響を与える。

 また、漢字と仮名の使い分けも重要である。殊に日本語は漢字とひらがな・カタカナ、時にはアルファベットやアラビア数字と数種類もの文字を使い分けて表記される珍しい言語である。その意味では大変難しい。
 しかし、その珍しい特質が日本語文章の視覚的効果を一層高めているともいえる。漢字と仮名を組み合わせることで読む前からその文章の全体的な印象を直観できる。一つ一つの文字の連なりが恰も絵画のように視覚に訴えるのである。
 そこで漢字と仮名のバランスに気を遣わなければならない。
 漢字に変換できるものは全て漢字で表記した文章は、一見、教養深く格式高く見受けられるが、多くの読者にとっては読みづらいものとなる。漢字、しかも見たこともないような読めない漢字が溢れた漢文や経文のような文章は読書を妨げるだけではなく、視覚的に敬遠したくなるものだ。
 一方、殆ど全てが仮名で表記された文章も一般的に読みづらいものだろう。「表意文字」といわれ、それ自体に意味を持つ漢字と異なり、ひらがなはそれ自体に意味はない「表音文字」である。そのため、ひらがなは声(音)に出して読まない限りその意味は解せない。文章全体の印象を直観しにくいのである。
 このように漢字と仮名文字はどちらが多過ぎてもどちらが少な過ぎても不具合が生じてしまう。勿論、半々にしたからといって全ての場合に適切だとはいえない。漢字を多くするか、仮名文字を多くするかで、読者に与える視覚的効果(=第一印象)が変わってくるものであり、それはその文章の内容を伝える一つの表現手段ともいえる。

 更に、一つの単語にどの文字を使うのかも書き手の考え方次第である。例えば、「タマゴ」を「卵」と表記するか「玉子」の方がよいか、「たまご」のままが妥当か、といった具合に言葉と文字の関係だけをみても、充分過ぎる視覚的効果とそれを発揮させるための苦労が窺われる。


 これらはホンの一例だが、視覚的効果には様々な方法が考えられる。“読ませる文章”だけではなく“見せる文章”を考慮するのも書き手冥利の一つではないだろうか。少なくとも蜀士玄子という書き手は読ませるだけではなく“見せる文章”を強く意識している。

 それは、前回解説した「挿絵の位置」に対するこだわりを見ても、充分に納得できるだろう。詳細は繰り返さないが、挿絵の位置が変わるだけで文章全体の印象だけではなく、読みやすさや“情報伝達”の内容そのものにも影響を与えてしまう。

 また、“読ませ文字”も蜀士の好むところである。
 例えば『三國志游學記』本体に付けられた帯上のキャッチフレーズ的な名台詞「我が聖都、ここにあり」(第一章冒頭:17ページ)の「聖都」を蜀士は「ゆめ」とふりがなを振る。蜀士にとってそこは「夢」にまで見た所であり、「夢」となる場所でもある。言わずもがな「聖都(せいと)」即ち「聖なる都」と思えたのだろう。そしてそこは「成都(せいと)」という街だった。
 この僅か二文字の言葉を敢えて「ゆめ」と読ませることにより、聴覚で「ユメ」、視覚で「聖なる都」と感じさせ、更にその両覚で「セイト⇒成都」と推測せしめ、その三者(夢・聖都・成都)の関係を一瞬にして読者に伝えたのである。
 『三國志游學記』中にはこのような“読ませ文字”が溢れている。蜀士お得意のこの表現方法を満喫して頂きたいと思う。

 そして句読点、特に読点「、」の多さも見逃せない。
 経験上、文章を書き慣れた人ほど一文が長くなる、つまり句点「。」と句点の間が膨大になる傾向があるように思われる。勿論、全ての人とは断言できないが、その言葉の組み合わせの妙なるがゆえに、どうしても長い一文が積み重なった文章になってしまいがちである。それは短い文を繰り返す味気ない単調な文章―――無論、短い文を繰り返しながら単調さを感じさせず味わい深い文章を書く人もいるだろうが―――とは対極で、味わい深いものといえる。が、読み手にとっては分かりづらくなることも多々あり得る。
 蜀士にもその傾向が否めず、本制作の過程ではそれを相当考慮した。蜀士は声に出して自文を読み、推敲と校正を重ねたが、そうした作業の中、読点の使い方の工夫を考えたようである。長い一文でも読点を入れることで区切りができ、読み手にとっても視覚的な安堵感が与えられる。
 また、長い一文と短い一文を織り交ぜることで文章全体にリズムが生じ、文章内容の展開の状況と読書のリズムを併せることもできる。つまり、慌しい展開の状況を描く場合は歯切れのよい短い文章を多用して読書のリズムを早め、ゆったりとした展開の状況を描く場合は含みのある長い文章を続けて読書のリズムを和らげるのである。非常に音楽的だ。

 更にそれと同様の効果を求める視覚的表現方法として、改行と段落分けがある。
 『三國志游學記』は行を改めたり、一行空けたりしている箇所が多い。そのために出版社の編集担当者はある程度余裕を持って予定していたページ数が不足するのではないかとハラハラしたそうだが、蜀士は譲らなかった。
 改行や段落分けによってできるページ内の空白は読者をホッとさせるものである。読み手としての経験が豊富な蜀士は、書き手となってもその読み手の気持ちを忘れなかった。“ホッとする演出”をして初めてそのページを心地よく読んで貰えるのである。
 改行や段落わけによってできる空白は立派な文章の視覚的効果の一つといえる。そして、その空白は自ずから読書のリズムを作り、文章内容の展開状況を暗示できるのである。
 シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』という作品は彼の他の作品では例を見ないくらいテンポが早い。一幕の“場”の数が尋常ではないのだ。例えば『ハムレット』などは一幕各二場ずつの全5幕であるが、この作品は一幕に10前後もの“場”を要している。しかし、長大な歴史浪漫が一つの作品としてよりドラマティックに纏められているのはこの頻繁な場面展開の効果に拠るところが大きいと専門家は評する。
 「三国志」と「中国」一筋の蜀士がこのシェイクスピアの作品を知っているかどうか定かではないが、『三國志游學記』のこうした句読点や空白の取り方を感じた時、恐れ多くもこの世界四大文豪の一作品を思い出した次第である。


 何れにしても、文章とは本来何らかの情報を伝えるために文字を連ね、言葉を組み合わるという“単純な作業”であるが、凝れば凝るほど限りなく多種多様で豊かに発展し得るものといえる。“単純な作業”に“複雑な意義”が齎されるのである。そしてその一つの要素として視覚的効果が考えられる。
 それは文字や言葉が持つ固定された具体的で直接的な意味に留まることではなく、それらから醸し出される無限の抽象的・象徴的で間接的な意味を添えることにある。ページに描かれた文字や言葉の配置は絵画の如く視覚に訴えかけ、ページを埋める文章のリズムは音楽の如く聴覚に訴えかける。更にその両覚が“読覚”(読書感覚)と相俟って本を読む行為に彩が加わり、文章を豊かにするのである。
 その意味で文章とは“読む”だけではなく“見る”ものでもあるといえるだろう。書き手は読み手に文章を読ませるだけではなく見せることもできるのだ。

 気鋭の新人作家蜀士玄子の文章表現はまだまだ発展途上ではあるが、そんな“見せる文章”も考慮し、“豊かな文章”を求めている。その渾身の作、『三國志游學記』を彩り豊かに読んで満喫して頂けたら幸いこの上ないことである。

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2006年3月11日 (土)

挿絵の意義と位置~蜀士のこだわり 1

  この『三國志游學記』は随所に蜀士の「蜀士らしさの追求」が垣間見れる。
 蜀士はこれまでも何点かの文芸作品を書いてきたとはいえ、出版に至ったのは本作が初めてである。従って、文章を書くことにかけては慣れているものの、出版作業の知識は全くなかった。当然、出版業界の“常識”も知らなかったのだろう。そのためか、『三國志游學記』出版過程では多くの戸惑いがあったらしい。
 特に「本としての体裁」を考慮する出版社の方針と自らの文章観や読書観を貫徹したい蜀士の信念との間には大きな隔たりがあった。そしてその隔たりを取り払うために多くの時間と労力が費やされ、両者は妥協と代替案のジグソーパズルを完成させていかなければならなかった。
 蜀士にとって今回の出版はこれまでの自分自身の集大成であり、これからの自分自身への道標でもあったことは他の欄(『三國志游學記』誕生秘話 他)からも頷けるが、同時にこれまで読者として感じていた“出版業界の常識”の弊害に対する大いなる挑戦でもあったといえるだろう。その意味では著者の意見や理想を反映させやすい「共同出版」というシステムを選んだことは、蜀士にとって幸いだったのかもしれない。
 そして、その最たるものが挿絵(写真)の存在である。『三國志游學記』では著者自らが撮った写真が効果的に用いられている。蜀士はこの挿絵としての写真の扱いについて強いこだわりを持ち、出版社に主張し続けたのであった。

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2006年3月 1日 (水)

総合解説~『三國志游學記』のすすめ

  2003年6月30日、やさしく雨が降り頻る「成都・昭烈陵」にて回想する形態で“物語り”は始まります。
 「昭烈陵」は「三国志」蜀漢王朝皇帝 劉備(玄徳)の墓のことで、彼を尊敬して已まない蜀士は墓前に3本の線香を立てて、この6年に亙る游学の日々をふと思い起こす。そして全3章分の回想が終わった頃、雨は上がり、線香は尽きて「玄徳様」への感謝と再会の約束を申し上げて日本への帰途に着く。こうして昭烈陵を立ち去ることでこの“物語り”も終わります。

 「玄徳様に会いたくて成都に来た!!」という蜀士は6年間で実に115回もこの地に来ていました。中国・成都での6年間を描いたこの『三國志游學記』の“地の舞台”は何が何でも蜀士自身が最も好きな所であり、その象徴的存在でもある「昭烈陵」にしたかったのでしょう。
 昭烈陵に来て本文が始まり、昭烈陵を出て本文が終わる。3本の線香を立てて物語りが始まり、その線香が尽きる頃、“物語り”は終わる。“物語り”の間、やさしく降り続いていた雨は“物語り”が終わる頃上がっていた。
 出来過ぎのような、取って付けたようなこのシンメトリー(対象構造)性は決して創られたものではありません。実際に蜀士が2003年6月30日に行った事実であり、その時点で『三國志游學記』という本の存在は勿論、構想すらありませんでした。

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